ヤフオクに出品するにしてもジャンクのままではいささか気が引けるのと、売れないだろうなぁという思いもあったので、動作確認用に、昔あこがれていた高級志向の?MSX2を購入したのでした。(昔の記憶を頼りに探しました) このモデルはまず見かけなかったのであこがれたんですよねぇ。 MSXはMSX1や2含めて5~6台入手していろいろ乗り換えていました。 最後はSONYのHB-F500というFDD*1機装備のセパレートMSX2でした。
SONYのHB-F500とF900はキータッチが独特で、押すとポクポクいう感じの触り心地で気に入っていました。 この頃からキーボードのフェチっぷりが始まっていたんでしょうね。 現在もパソコンのキーボードにはこだわりが強く、様々なタイプのキーボードを多数持っています。
今使っているものの最高のタッチは東プレの「リアルフォース」と富士通高見沢の「リベルタッチ」ですね。 次はFILCOの「マジェスタッチ2 茶軸」か、オウルテックの「ステラ109」の青軸、またはRAZERの「BLACK WIDOW アルティメット」青軸などです。 キーボードの話は長くなりそうなので今回はこの辺で。(笑)

本体の立ち上がり確認もしておかないとその後のソフトの動作確認もできないもんね。
メッチャ懐かしい画面です。 MSX BASICって・・・・。
MSXの頭文字の意味って、マイクロ ソフト Xの略なんですよ。 知ってました?
MSXは日本国内だけじゃなく、世界的に販売された世界共通企画の初のパソコンだったんですよ。 今のIBM-PC(ウィンドウズマシンなどの)走りですね。 日本国内だけでも、各社電気メーカーが多数参入して続々と新機種を発売していました。 基本的な機能はすべて共通規格なので、突出した性能差はなかったのですが、低価格マシン路線や、高級路線やワープロ機能強化機やデジタルテロッパ機能、レーザーディスク対応機や音楽MIDI対応機などいろいろな付属機能があり、各社出そろった1986年あたりはMSX黄金期だったように思います。 MSX関係の雑誌もすごくたくさん出ていました。 パナソニックの初の格安MSX2(FS-A1)は¥29800という当時はビックリ価格で登場しました。 その直後SONYからもHB-F1という格安マシンが登場し、人気が2分しました。 MSXといえど、当時の最高機種(パナの前身、ナショナルのFS-5500F2という機種は確か¥228000位したと思います。) そんな金額出すなら、もっと上級機種買うわい!といわんばかりの超高額。 個人ユースでの価格ではなかったので、主に画像編集などのプロ達が、もっぱら使っていたみたいです。(当時小学生~中学生の頃でしたので高すぎて現実味がありませんでした)

カセットをさして、順次立ち上がり/ゲーム開始までの動作確認をしていました。
画面を見るごとに「なつかし~!」と昔を思い出し感動。 今みれば「なんてショボイ画面なんだろう?」って思いますが、当時は熱狂していました。 画面も、MSXは家庭用のRFかビデオ端子(RCA)、または専用の高解像度21ピンアナログディスプレイが選べ、専用モニターを買えなくとも、家庭用のブラウン管TVで十分代用できました。 家庭用モニターベースなので、解像度も低く
キャラクターなども少々にじんでしまう感じがありましたね。
画像はグラディウス(1)

この画像を16色で表現していた時代です。 でもすごいことに16色未満でも気合いの入った画と作り込みには関心します。 当時のCPUは4MHzですよ(いや、3.5MHzだったなかな?) とにかくMSX1はファミコン以下の能力でした。 MSX2でファミコンを超え、グラフィックも256色使え、一部の漢字も使えるようになりました。 でも、モニターの解像度は低いから、にじんでしまって、漢字がよく見えない・・・。ということもしばしありました。

テープのソフトはさすがに確認する環境(データレコーダーという専用の機械)が無いため、動作確認できず現状出品しました。

カセットテープもパソコン用として専用のもの(10分や15分テープ)が当時は数多く売られていました。 でも専用品は高かったので、音楽用の60分未満のものを流用していました。 (なつかしい・・・) ちなみに90分タイプだとテープが薄すぎてのびてしまうという懸念から60分以上のテープはほぼ利用されませんでした。

グラディウス2のテスト画面を開いた際に、なんとも忘れていた記憶がよみがえりました。

その昔、発売元のコナミが、ゲーム雑誌上で告知した「グラディウス コンテスト」なるゲームのシナリオやストーリー構成、イメージイラストやその他の項目にてコンテストがあったのですが、それにエントリーしてグランプリを頂いたんです。 様々な商品をいただいた中の一つがこれでした。 オリジナルグラディウス2カセット。

かなりこっ恥ずかしいですが、名前入りの特注カセットをいただきました。
完全に忘れていましたよっ! 危うく売ってしまうところでした。(爆)
このときは確か東京支社(神田神保町)に出向いて表彰式と取材を受けた記憶があります。 確か中学3年生だったかと・・・。
持っていても起動させる本体が無ければどうにもなりませんが、思い出の一つとして残すことにしました。 次立ち上げてみるときは何年経っているかな?(笑)
ちなみに、翌々年の第2回コンテストもあったのですが、その際もストーリー部門最優秀賞をいただきまして、アーケード版のグラディウス2の基盤(ゲームセンターにあるやつ)にオリジナルROMを焼いたもの他etcをいただきまして、これもフルネームがタイトルに入って、一般機には登場しないオリジナルキャラが1種類登場しました。 このときは兵庫県神戸市の本社でセレモニーがありました。 高校2年生の夏でした。 こんなオイラもパソコン部などではなく、ゴリゴリの陸上部を中学/高校と続けていたので、オタクな一応スポーツマンでした。
このときは本気でゲームデザイナーになろう!と決心していて、高校3年生の時にコナミを特別枠で入社試験を受けさせて頂いたのですが、いかんせん走ったり、飛んだりしてばかりで勉強はあまりやっていなかったので(爆)、オツムが足りず、入社する(できる)ことはなく、普通にサラリーマン(沖電気工業)になりました。 ゲーム関係ではなく、金融系(ATM等)のサービスエンジニアになってしまいました。チャンチャン。
もし万が一あの時コナミに入社ができていたら、今の人生もエアロ屋ではなく、IT系(未だにITの頭文字の意味も知りませんが・・・)の仕事に就いていたら、今とはまた違った人生だったでしょうね。
その後。
息子がよく会社のパソコンで動画を見にくるのですが、来たついでにMSXのゲームをやらせてみました。
私がちょうど30年前に遊んでいたゲームを同い年の息子がやっていました。
現代のゲームはプレステ4などはグラフィックも完全なフルCGで、本物のように動き、本物のように(または映画のように)きらびやか&鮮やかに映り、動きもなめらかで、どうにも別のシロモノにしか見えないと思います。
やらせた結果・・・。 カクカク動いて、操作も基本が十時方向(今のアナログスティックとは違い上下左右の動きが基本)なので、動きがオーバーしてすぐにゲームオーバーになってしまう様子。 「なにこれ? 難しいし・・・すぐやられるじゃん!」とうまくゆかない模様。 当時の私たちはこれがスタンダード(というか最先端?)だったので、違和感ありませんでしたが、30年後の若者には逆に難しいようです。
私もやってみましたが、息子とどっこいでした。(泣) 昔は結構これで遊んだんだけどなぁ・・・。 今は感覚鈍ったようです。(爆)
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- 2016/08/19(金) 00:31:54|
- パソコン関係
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| コメント:4
竜之介さん>意外に同年代は同じ時代を過ごしているだけあって、遊んだオモチャ(パソコン)もお案じ様なものなんだね。 当時は高くは2+は買えなかったなぁ・・・。 2+専用のソフトもほとんど無かったしね。
- 2016/08/20(土) 19:02:26 |
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- KAZE #-
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konamiに入社してたら地獄の日々だったでしょうねぇ
- 2016/09/26(月) 13:30:50 |
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- 野倉弘次 #-
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イタズラ書き込みしたのだれじゃい?!>昔は本気でゲーム関係も考えていましたが、イラストやデザイン、企画は考えられても、肝心のオツムの方が足りなく、夢は叶いませんでした。 形は違えど、デザインと言う意味ではエアロデザインをやっているので、50%位は希望の仕事になっているのかな? 今では車屋も良かったとおもっていますが。
- 2016/09/27(火) 10:27:20 |
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